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映画「桐島、部活やめるってよ」②

俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから

 

どうも、本日は桐島部活やめるってよ②です。

本日のテーマは自己の無い現代人ですです。

 

 

2.自己の無い現代人①

 

この映画って1回観ただけだと「ん?」てなると思うんですよね。

  • 桐島が出てこないじゃん!
  • 青春してない
  • あんまり大したこと起こらない
  • 宏樹君何で泣いたの?
  • 結局何が伝えたかったの?

などなど。実際映画の登場人物と同じ世代の若者から「わかんねー」みたいな声が結構あったとかなんとか。この映画ってスクールカースト下位の前田君が主人公なんですよね。上位にいる宏樹君も主人公格なんですけど、普通の映画と描かれ方がちょっと違うわけです。だからスクールカースト上位にいるorいた人には全く響かないのかもしれません。

 

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スクールカースト。これについても書きたいことが結構ありますね~。

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神木隆之介演じる前田君。嫌ですね~陰口言われてますね~(笑)。でも普通にある光景ですよね。

 

冒頭が退屈だ。クラスのリア充が、髪型がどうとか、桐島が部活をやめたとか、特に面白くもない、どうでもいい話をしている。どうも見ていて映画に入っていけない。リア充の内面が見えない。人間に見えない。

*1

 

ここですよね。確かにそうなんですよ。ほんとにすんごい薄っぺらいんですよ。もうペラペラ。ペラペラよ。

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※ペラペラな登場人物たち。イケメンですね~カワ(・∀・)イイ!!ですね~。

 

この映画ってリア充が全然魅力的に描かれてないんですよね。それでなんかリアルじゃないって意見が多いみたいです。でもね、そこが個人的には凄いリアルだなーと思いましたね。他の映画だと高校生ってキラキラの塊じゃないですか。目標に向かって一直線で友情や恋愛に燃えてて挫折を味わいながらもそれを乗り越えてやったぜ俺たちみたいな。仲間最高!みたいな。努力大好き!みたいな。努力万歳!みたいな。

 

現実にそんな奴いないだろ

 

そっちの方がリアルじゃねーよと言いたい。いたとしてもかなりかなり少数じゃないですかね。現実の高校生なんて冷めたもんですよ。なんとなくいい大学目指してなんとなく友達と遊んでなんとなく部活やってなんとなく生きてます。それが普通です。

 

日本人は『努力信仰』を持つということが、しばしば語られてきた。しかし、現代の若者たちは、昔の人たちのように、努力を重視しているとは考えがたい。努力には、どうしても『忍耐』や『我慢』が伴うが、彼ら自身はむしろ、忍耐や我慢をして努力する姿を冷笑するようになったことは確かであろう。現代の若者たちは熱くなれないのだ。忍耐や我慢は、彼らからすれば「かっこ悪いもの」の代表格なのである。

*2

 

熱く生きるほどかっこ悪いと思われてしまうことはないですよ。多分みんな憧れてはいるんですよ。熱く生きることに。でも同時に物凄く寒いことだとも思ってるんじゃないですか。もし現実に映画みたいな青春謳歌大好き野郎がいたら速攻で集団から弾かれるんじゃないですかね。

 

桐島に関してはスクールカースト上位と対照的にスクールカースト下位の子が、というか前田君が凄く魅力的に描かれてますね。内面がちゃんとある人物として。あと吹奏楽部の子。

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※二人とも実力派って言われてますね~。

 

現実ではスクールカースト上位だとか下位だとか関係なくみんな一律に個性なんてないと思いますよ。あと学生であるとか社会人であるとかも関係ないと思います。結構前に(今も?)自分探しが流行りましたよね。

 

若い人たちのあいだでの『私探し』が話題に上るようになって、もう何年たつだろう。その間に、多くの学者や評論家によって、じつに多くのことが語られてきた。しかし今でも本屋にいけば、『ほんとうの自分を発見するために』とか『本当の自分を好きになるために』とか銘打った本が、棚に並んでは消え、消えてはまた並べられている。じっさい今もなお、少なからぬ若い人が、『こんな自分は、ほんとうの自分ではない……』といった漠たる不安と欠如感をかかえて、『私探し』にハマりつつある。

*3

 

今でも躍起になって探してる人がいるかもしれません。それが見つかりさえすれば人生が好転するとでも思ってるんでしょうね。そんなの探しても無駄だよと言いたいです。スピリチュアルの格好の餌になるだけですよ~。まあとりあえず現代人って自己ってものを喪失してるのでは?と思うわけです。

 

自己の喪失と熱くなることへの冷笑

 

忍耐や我慢、熱くなることは若者にとってはかっこ悪んですよね。僕が思うに熱くなることを冷笑するということと自己の喪失には繋がりがあります。人の頑張りを馬鹿にするという行為の裏には自身の、努力をしたという経験の欠如があるように思います。そしてこの努力という経験の欠如の裏には「自己の無さ」が存在していると考えられます。

 

努力という言葉を大和泉辞典で引いてみると「ある目的のために力を尽くして励むこと」とあります。当たり前のことであるが努力するためには「目的」が必要です。そしてその目的を知るためには「自分がどうしたいか」「自分がどうなりたいか」「自分がどうありたいか」といったことを明確に分かっていないと駄目ですよね。

 

つまり「私とは何か」ということを理解しておかねばなりません。自分がどうしたいかも分からないのに目的など生まれようもありません。恋い焦がれるような目的がなければ懸命な努力はできませんよね。現在の若者、というか現代人の多くは自己を喪失しているように僕は感じます。

 

その辺が桐島ではきちんと描かれてるように思いますね~。個人的には一番共感できるのですが。

 

長くなったので②に続きます。

 

*1:宇田川幸洋(2012)「宇田川幸洋の映評ジャッキー映画とコトバの間にはふかくて暗い河がある?(ナンバー30)」キネマ旬報

*2:大庭健(2001)「私という迷宮」

*3:大庭健(2001)「私という迷宮」