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映画「桐島、部活やめるってよ」③

雑記

はい、どうも。毎回毎回冒頭に名言っぽいの書こうと思ってたんですが2回でネタ切れしました。ビックリですね。

 

本日は自己の無い現代人②となります。あれ、ほぼほぼ引用で終わってしまう気が…。

 

 

 

2.自己の無い現代人②

 

罪は時代精神の産物でもある。「自己の病理」の時代、「空虚な自己」の時代にはそれにふさわしい犯罪が出現してくる

 

青少年による凶悪事件が続発している。記憶に残るような主だったものを挙げるだけでも、一九九七年の神戸小学生連続殺傷事件、九八年の栃木県黒磯中学校女性教師刺殺事件、九九年末には京都で『てるくはのる』による小学生殺害事件があった。中略。これらの事件の多くは被害者が加害者の少年とはまったく無関係の人間で、動機も一見わかりにくい。中略。特に最近の動機がつかみきれないといわれる若者の非行・犯罪には『自己の病理』『空虚な自己』『幼児万能感』がさまざまに関与していると著者は考えている。とりわけ著者が提唱している『自己確認型』犯罪においては、これらの問題が端的にあらわれている。つまりは物質的欲求不満や性的葛藤、快楽を求めてというよりも、空虚で、希薄となった自己の存在、空虚な自己、傷ついた幼児的万能感を犯罪によって埋めたり、回復することを求めての犯罪が現代型犯罪の主要類型となっている。犯罪によって自己の存在を社会に映し出そうというものである

*1

 

少し前の本ですが。影山という方は現代を「自己の病理の時代」「空虚な自己の時代」と呼んでいますね。

 

いいですね、空虚な自己の時代。なんかこう、子供心がくすぐられるというか、なんかかっこいい感じがしますね。

 

前章で現代は誰もがこぞって自己肯定感を求める時代であることを見てきた。そして、その自己肯定感の中には特に他者軽視を通して生じる偽りのプライドがあることにも触れた。これを「仮想有能感」と呼ぶことにする。この「仮想的有能感」という言葉は私の造語である。過去の実績や経験に基づくことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる本物ではない有能感という意味で、「仮想的」有能感と名づけた。

*2

 

もう正直僕が付け足すことは何もないのですが。

 

空虚な自己、自己肯定感、仮想的有能感

 

この3つのワードが個人的には現代を表す言葉としてドン、ピシャリ!です。全部つながってるんですよね。

 

特にこの他人を見下すことで自身の有能感、自己肯定感を得る仮想的有能感なんてもうまさに!って感じじゃないですか。ネットとかツイッター見ると分かりますよね。隙あらばこぞって誰かを非難してますね。それも匿名で。

 

思うんですが、誰かを一方的に糾弾する行為って不思議な快感を生むんですよ。その快感の正体がこの仮想的有能感だと思いますね。人を見下すことで相対的に自分が上のように感じる、それが気持ちいいんですよ、多分。

 

そんで桐島って結構こういう他人を見下すシーンとかが描かれてるんですよね~。特に印象的だったのは表彰のシーンです。映画部が賞をとって表彰されるんですけど、笑われるんですよ、他の生徒から。原作の小説ではこんな感じで書かれてます。

 

校長はぐるりとこちらを振り向いて、短い腕で僕らを指し示しながら順番に紹介していく。男子バレーボール部、女子バレーボール部、ソフトボール部ブラスバンド部、卓球部、映画部。映画部のところで、なんとなく空気が変わる。ちょっとしたざわめきも、僕にとっては大きく聞こえる。これがすごく嫌なんだ。熟れたトマトでもつぶすように、心臓を上からぐしゃりとされたような気分になる。映画部ってなに?そんなんあったん?聞こえる、全部聞こえてくる。言ってなくても、言っている。空気が。お前たちは目立っちゃいけないって、聞こえる。〔中略〕僕はそこでとても嫌な予感がした。背中にそっと細い氷を差し込まれたようで、できるならばもう表彰状を受け取って降壇してしまいたかった。「……その栄誉を讃えここに称します。作品タイトル、『陽炎~いつまでも君を待つ~』おめでとう!」いっそ笑い声が起こったほうがよかった。何人かの噴き出しと不穏なざわめきが波のように迫ってきた。タイトルやべー、という男子の声は聞こえた。それだけははっきりと聞こえた。きっと武文にも聞こえているはずだ。隣では、武文が大きめの学生服のすそを、ぎゅ、と強く握りしめているのが見えた。自分のてのひらに爪が食い込んでいることを、僕はそのときにきづいた。

*3

 

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※表彰される前田君ら。一寸さんが何とも言えない良い表情ですね。

 

…分かるなあ。きっと誰しもこういう経験はあるんじゃないでしょうか。馬鹿にした側かもしれませんし、馬鹿にされた側かもしれませんし、あるいは両方とか。最近手特にこの人を馬鹿にしたり見下したりっていうのが多い気がします。異常なくらい。その行為の裏側には深刻な自己の問題が隠されているような隠されていないような。

 

桐島に出てくる登場人物って自己を喪失してる子が多いんですよ。中でもその代表が宏樹君、そして映画には出てこない桐島君なんですね。そこが良いですよね。ちゃんとリアルな現代人の姿が描かれてると個人的には思います。

 

そして次はいよいよ桐島とは何じゃらほい、です。

 

 

*1:影山 任佐(2001)「自己を失った少年たち―自己確認型犯罪を読む」

*2:速水敏彦(2006)「他人を見下す若者たち」

*3:朝井リョウ(2012)「桐島、部活やめるってよ