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映画「桐島、部活やめるってよ」④

雑記

最近めっきり寒くなりましたね~。布団の中が逆精神と時の部屋みたいに。

 

今日はいよいよ桐島とは何か!ですです。

 

 

 

3.桐島とは何か

 

桐島が部活をやめただけで、真剣に大騒ぎする生徒たち。桐島とはいったい何なのか。

*1

 

桐島君が部活やめて学校にも来てないってところから物語が始まるんですよ。それでみんながてんやわんやになると。何なんでしょうね。これ面白いのが映画に全然出てこないんですよね、桐島って。正確には桐島らしき人物がちょっとだけ写される場面はあるんですけど。

 

その場面っていうのが最後の方で生徒の一人が屋上にいる一人の生徒を見つけて「あれ桐島じゃない?」ってなるんですね。それでその情報が広がっていってみんなが屋上に向かうんですよ。だけどいざ屋上に着いてみると屋上には桐島はいなかったっていうシーンになっております。

 

みんな桐島大好きなんですね。だから桐島が来なくなって色々問題が起こるし、桐島っぽい子を見かけたってだけでそこに殺到します。

 

この学校の生徒にとって桐島君はどういった存在なのでしょうか?

 

この作品については町山智浩さんが詳しく解説してくれてます。町山さんはこの桐島の映画は「ゴドーを待ちながら」という作品を参考にしているのでは?と言っています。

 

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ゴドーを待ちながら。ゴドーはGOD Tとなってますね。

 

ゴドーを待ちながら」は二人の男がひたすらゴドーを待ち続け、結局ゴドーが来ないまま話が終わってしまうという作品です。ゴドー、桐島が結局訪れないこと、そして登場人物がその存在の登場を待ち望んでいるという点で2つの作品は非常によく似ています。

 

ではゴドーを待ちながらという話は何を意味するのでしょうか?結論だけ言いますとゴドーはゴッドであり、来るはずのない神を待っているというのが人間であるというのがこの話の一般的な解釈のようです。

 

じゃあ神って何でしょう?僕の個人的な意見ですが神を一言で表すなら「完璧な存在」だと思うんですよ。神って絶対的な存在じゃないですか。そして神様は自分を信仰する人に本来とてもとても難しい問題の答えを教えてくれるんです。

 

その問題っていうのは「どう生きるべきか?生きるとは何か?」っていう問題です。

 

教えてくれるというか、与えてくれるんですよね、答えを。絶対的な完璧な存在が。桐島君も同じ役割を果たしてるんじゃないかなと思います。

桐島君はスポーツ万能で、みんなから好かれて、女の子からもモテて、かっこよくて、勉強もできるといった完璧な高校生として描かれているんですね。

桐島君は学校生活の理想形そのものでなんです。高校生が目指すべき姿が桐島君です。桐島君の周りの人物は桐島という存在から仮の生きる目的、生き方を提示されて、与えられて、それを受け入れている状態のように思えます。

 

前回と前々回の記事で書きましたけど桐島の登場人物って自己が無いんですよ。それはどう生きたらいいか、どう生きるべきかということに対する明確な自分の答えがないってことに繋がります。だけど桐島君という存在がいたことで、なんとなくそこを目指したらいいんだっていう指針は与えられてたわけです。あるいは、桐島という存在と関わることで自分の自己の無さを誤魔化せてた。

 

だけどそんな存在がある日突然来なくなっちゃったんですね。だからもうどうしていいか分からない、と。

 

桐島とは何か?

 

桐島君は自己の無い者たちにとっての「自己の象徴」です。

 

多分(笑)。自分がどう生きるべきか、どう生きたいのか、何をすべきか、何を目指すべきか、何者になりたいのか、まず今の自分とは何なのか。そういったことを何も持たない生徒が桐島に惹かれていたんですね~。

 

次回は前田君と菊池君です。

*1:宇田川幸洋(2012)「宇田川幸洋の映評ジャッキー映画とコトバの間にはふかくて暗い河がある?(ナンバー30)」キネマ旬報